こんばんは、おにぎり成です。
これ、朝の散歩コースにあるお地蔵さんの祠。
毎朝お地蔵さんの前で軽く会釈をして、さらに犬の頭を無理やり下げさせてから通行している。
今日はそんな様子を携帯のカメラで撮ろうとしたら、変な角度で犬の頭を掴んでしまい、それに驚いた犬に手を咬まれた。
今まで犬に咬まれたことがないので驚きから「痛い!!」と叫ぶと、咬んだことがない犬も「わ、わし、やってもうたんか!?」と困惑。
咬まれたというか、歯が当たっただけなのでそこまで痛くないのだが、あわあわと狼狽える姿が可愛かったので「う…うう……」と大袈裟に痛がってみせた。その間も犬は「ごめんなあ…ごめんなあ…」と人間だったら涙目になっているであろう瞳でこちらを見上げている。
「……な~んちゃって☆大丈夫だよ~ん!びっくりした?」と、ひょうきんな笑顔を見せると、犬もパァァアと明るくなって「大丈夫なんか!?そうなんか!?心配したわい!!」と人間でいう満面の笑みになった。
「よっしゃ!行こうぜ!!」「うっほほ~い!」と笑顔で走り出す私達。朝6時、誰も見ていないからこそできる茶番である。
夕方の散歩中、いつもの散歩コースに謎のおっさんが立っていたので、危機管理能力をフル回転した結果、道を右折した。普段はあまり通らない道だが、美しい風景が見れたので謎のおっさんに感謝。
謎のおっさんというか、おっさんが立っていた横の家の住人だと思うが、私は散歩中できれば誰ともすれ違いたくない。
すれ違わないためなら遠回りでも何でもする。私にとって生身の人間とのコミュニケーションは苦痛そのものなのだ。
卑屈な自分が嫌で、明るく笑顔でHAPPYな人間になろうと心掛けたこともある。周りからは社交的な人間だと思われていて、私も人と関わることが好きだと思っていて、問題なく全てが循環していた。
そんな日々に亀裂が走った原因は後輩の存在だ。どれほど頑張っても私は彼女が苦手で、本能が彼女を全力で否定していた。
自分の中でたくさんの「何故」が溜まっていったとき、ようやく「人を嫌うことは悪いことだ」という感情と向き合うことが出来た。
自分の中に間違いなく存在する黒い塊を受け入れること。美しいから好き、汚いから嫌い、そんな固定概念は存在しないということ。目を背けたくなるほど醜い感情も、ありのままの自分なのだということ。
後輩のことを好きになったわけではないが、いつの間にか私は彼女の良いところを知っていた。当たり前だが最初から意地悪などはしていない。(そのつもりだが相手からの印象はわからない。知らないうちに傷付けていることもあるので)
そんなわけで私は二度と私を否定しない。
そして出来れば人のことも傷付けたくないと思っている。そう強く思えば思うほど、人を遠ざけてしまう。感情は複雑だ。
ではまた。