米粒のような独り言

アラサーオタク女性の独り言です。文章とお絵描きが好きです。おにぎりボウズくんというオリジナルキャラクターを描いて楽しんでいます。※無断転載などご遠慮ください。

死してなお想う

こんばんは、おにぎり成です。

昨日は寝てしまったので、昨日と今日の日記を一緒に書きます。

 

昨日はよく泣く先輩が自宅の庭にウォータースライダーをDIYしたと笑顔で報告してきた。自分の子供だけでなく、近所の子供が大勢集まるほど人気だったらしい。

子供達がウォータースライダーで遊んでいる動画を満足げな顔で見せてきて「滑り台の角度は30度がポイント」だと言っていた。

その後仕事の話になった途端、キラキラと輝いていた瞳の光が徐々に消えていき、最後には生気のない闇人形のような顔になった。

気持ちはわかるが落差が激しい。

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今日は母の命日だ。母が亡くなって1年が経つ。

一周忌は何もしない。直前に祖父から「こんなご時世だから各々で弔おう」と兄に連絡があったのだ。私にも電話があったが無視をした。私は祖父と縁を切ったつもりでいる。

祖母は何年も前に亡くなっている。祖父に酷い扱いを受けて自暴自棄になった祖母は、アルコール中毒になって泥酔してお風呂で亡くなった。

 

母が末期癌で亡くなる1ヶ月前。お見舞いを待つ母を無視して、ガールフレンドのところに行っていた祖父。母の叔母(私の祖母の姉にあたる人)から「なんで見舞いに来ないんだ!」と責められた祖父は「死んでいく人間より生きている人間のほうが大切だ」と言い放った。

そんな人間だ。

 

母は父と離婚後、とんでもない人間と再婚して、亡くなる1ヶ月前に離婚している。離婚の手続きは私の兄が全て行った。私は片道1時間半かけて母のもとに行き、母の叔母と協力して身の回りの世話をした。

周りの人間を振り回して感謝の言葉もない母だったが、産みの親が心ない扱いを受けて何も想わないわけがない。実の父から愛されず、弟家族には暴言を吐かれて、墓だけは入れてもらえたが一周忌すら行われない。

死ぬ間際、母は何を想っていたのだろうか。

 

墓には行きたくなかったので、母の位牌がある兄夫婦のアパートに行った。墓は私の家から車で2時間かかるところにある。祖父の家が近くにあるので行きたくなかったのだ。

位牌は母の写真と共に置いてあるらしい。何もできないが、せめて手を合わせたかった。

 

お供え物のお菓子と小さい花束を持って、兄夫婦のアパートに向かう。初めてお邪魔した兄夫婦の部屋は意外にも綺麗にしていておしゃれな空間だった。

「そこそこちゃんとしているじゃないか」と偉そうに部屋を物色しながら、母の位牌が置いてある部屋に入る。

仏壇はないので棚の一部に位牌と写真とお花と線香立てと、毎日変えているらしい珈琲が置いてあった。珈琲は焙煎がどうのこうの、毎日豆を挽いているとかどうのこうの言っていたが、あまり聞いていなかった。

3人で線香を上げて手を合わせる。わがままで自分勝手で嘘ばかりついていた母を反面教師にして息子と娘はここまで育ったのだ。と、生きてさえいれば恨み言のひとつも言えたのに。

 

まだまだたくさんいろいろなことがあったが、この話はいつか何かの形にしたいと思っている。読んでもらえたら嬉しい。

ではまた。

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