
私は子供の頃から人の話をあまり聞いていなかった。母親からは「アンタは本当にボーッとしてる子だね」と言われて育った。
私がボケーッと宙を仰いでいるとき、大体漫画とアニメの世界に逃亡している。空想にふけることが私の趣味なのだ。
のびのびと自由気ままに過ごしてきたおにぎり成、7歳。そんな夢と現実の狭間に生きてきた私に悲劇が起きた。
それは小学1年生になったある日のこと。
算数の授業中だった私は、例のごとくボケーッと空想の世界に浸っていた。現実世界とは反して、私の頭の中では好きな漫画の世界にいたり、魔法が使えたり、野原を散歩したり、何かと忙しい。
そんなとき「では皆さんも数字をプリントに書いてみてください!」と言う先生の言葉で、首根っこを掴まれるように現実世界へと戻された。
周囲を見渡すと、全員が机に向かって鉛筆を走らせていた。手元のプリントには、1から10までの数字が凡例として書かれていて、その横には数字を書き込むスペースがある。どうやら凡例をお手本にして、羅列する数字を書かなければいけないらしい。私は慌てて鉛筆を手に取った。こうして私は人の話を聞かない代わりに、妙な直感力と観察力が働くようになったわけだ。
みんなに遅れないように必死で数字を書き写していた私に生徒の様子を巡回していた先生が「おにぎりさん、8の数字はこうして繋げて書くの。おにぎりさんは丸を縦に2つ書いているだけだよね?先生の話、聞いてた?」と私の隣に立って声を掛けてきた。「8」の書き方がよくわからなかった私は、ふたつの丸を縦に並べて書いてしまい、それを目の前のアクマに見破られたというわけだった。
その瞬間、周囲から爆発的な笑いが起きた。ミスをした人間が先生に指摘されるという出来事が面白くて仕方ないらしい。私は「ギャハハハ!!」という大きな笑い声に囲まれて萎縮した。笑い者にされたのは人生で初めてのことだった。
身から出た錆ではあるが、その出来事は繊細な感性を持つ子どもにとってはあまりにも恐ろしい出来事で、今でもしっかりと脳裏に焼き付いている。
学年が上がると、家庭科の授業が始まった。
その日の家庭科は、キャンバスに3枚の生地とフェルトで作ったキャラクターを貼り付けてファブリックパネルを作るという授業だった。
3枚の生地はたくさん用意されている生地の中から自由に選んで良いので、私は3枚とも可愛い柄物の生地を選んだ。柄の種類がそれぞれ違って、どれもお気に入りの生地だった。その生地の上にフェルトで作ったプーさんを貼り付けて完成。「これは自信作!」と、誇らしげなおにぎり成。ワクワクしながら先生に見せに行くと、先生は「おにぎりさん、なんで3枚の生地全てが柄物なの?柄物には無地の生地を合わせたほうが良いと思う」と、眉をひそめてそう言った。
私は肩を落として席に戻った。心が冷たくなる感覚がしたことを、今でもはっきりと覚えている。
私は勉強も授業も学校も好きではなかった。好きではないことはやりたくない。頑固者の私はそれから全てを拒否した。授業は参加しているけど、頭も手も動かしていなかった。「落ちこぼれ」その一言に尽きる。
私は大人に可愛がられなかった。図体がでかくて無愛想で頭が悪い、先生にも母親にも構われなかった。
大人が近くにいるといつも寂しかったけど、私には何故か友だちがいた。幼なじみに誘われて加入したスポーツクラブのおかげで、クラスで孤立することはなかったが、クラブ内では人間関係が大変だったので苦痛だった。
勉強が嫌い、家庭科も嫌い、運動も嫌い。嫌いなことばかりだった私は、大人になっても仕事が嫌いだ。全てが中途半端で何も成し遂げたことがない。そして今も昔も人の話を聞かない。それでも周囲の人たちに助けられながら、何故か今も生きている。
誰に認められなくても、子どもの頃の気持ちは大人になった自分が認めてあげればいい。下を向いて泣いている背の高い子どもを空想の世界でぎゅっと抱き締める。誰からも構われなかった可哀想な子どもの頭をそっと撫でる。
空想の世界はいつだって私の味方だった。





















































