米粒のような独り言

アラサーオタク女性の独り言です。文章とお絵描きが好きです。おにぎりボウズくんというオリジナルキャラクターを描いて楽しんでいます。※無断転載などご遠慮ください。

変なときに心の癒しがあった

こんばんは、おにぎり成です。
肺炎になりました。

日曜日の夜。
旅行から帰った父からお土産をもらった。
足の指に挟んでリラックスするやつ。

お菓子。

兄嫁からTシャツ。
兄嫁はお土産に必ずTシャツをくれる。

そしてもうひとつ。兄夫婦が釣りのときにみんなで着るために家族でお揃いのTシャツを作ってくれていたらしく、それをもらった。おにぎり家釣りクラブと小さく書いてある、シンプルな白Tシャツだった。
父と兄夫婦はよく釣りに出掛けているが、今回私が一緒に行くことが嬉しかったらしい。そんな気持ちから家族でお揃いのTシャツを作ってくれたようだ。
それを受け取ったとき、気恥ずかしさと嬉しさと旅行に行けなくて申し訳ないという気持ちがぐちゃぐちゃになって、グスグスと泣いてしまった。父がうどんを作って部屋まで持ってくきてくれたので、私は急いで布団に顔を埋めて泣き顔を隠した。

母が亡くなるまで、私は「家族なんてあってないものだ」と思って生きてきた。私なんていてもいなくてもどちらでもいいし、いても雰囲気を悪くするだけだからいないほうがいい。そんな思考が根付いてしまって、誰かに必要とされる感覚というものが欠如していたのだろう。
母のことで兄と協力するようになって少しずつ兄との確執が薄まっていき、自分と向き合うことで父との関係も良好になっていった。
私はもう昔の私ではない。それを頭では理解していたが、きっと心には落とし込めていなかったのだ。
兄嫁が「成ちゃん体調大丈夫?みんな旅行中ずっと「成がいたらな~」って言ってたよ」と連絡をくれた。その連絡とTシャツを見て「私って必要な人間なんだ」と思った。
昔のことを静かに思い出す。父と母の喧嘩。母のこと。兄に言われた暴言。めちゃくちゃだった家のなか。泣きながら犬と歩いた道。

傷が深いほどその傷にしがみつきたくなるし、簡単には忘れてやらないと意固地になってしまうけど、ずっとその場所にいる必要なんてないのだ。向き合っても向き合っても辛いままで、出口なんてないように思えるかもしれないけど、ストンと心が軽くなる瞬間は必ず訪れる。心の底からじんわりと温かくなる、そんな瞬間が絶対にくるから。自分を見捨てないで、諦めないド根性で!(辛いときいつもNARUTOの言葉に支えられてきた)

もう私はあの場所にはいない。苦しかったけど私はここまで生きてきた。傷付いた心が徐々に癒されていく感覚を感じて、私は泣きながらうどんをすすった。


まあそんなことを考えながらも、症状は全く回復せず、特に咳が酷すぎて夜も眠れなかった。日曜日の夜も月曜日も咳が止まらなくて、私は下っ腹が筋肉痛になってしまった。
病院でもらった薬も効いている感じがしなくて、私は「あの病院め…」と、全く悪くない病院に理不尽な怒りを向けていた。これが余裕のなくなった人間の有り様である。

そして今朝、私はとうとう病院に再来した。朝イチで行ったので人が少なくて良かった。やはり病院は朝イチに限る。
熱は下がっていたが相変わらず咳が止まらない。こりゃどういうわけか説明してもらいますかな、と挑戦的な姿勢で診察を受けた。
レントゲンと血液検査をしてもらった結果「肺炎ですね」と先生はあっさり言った。肺炎って重症化するとヤバいヤツじゃんと私は恐怖したが、先生がボサッとしているのでいまいち緊張感が伝わってこない。
先生は「抗生物質を打ちますね。薬も出しておきます」と言ったので、私は本日2回目の注射を打たれたが、看護師さんが優しくて注射が上手で嬉しかった。なんでどこの病院も看護師さんってあんなに優しいのだろう。今日も咳き込む私に水をくれたし、終始優しい言葉を向けてくれた。感謝しかない。

家について薬を飲んだら身体のダルさが消えたので、注射と薬が効いているのだろう。しかし咳はまだ止まらないのでちょっと不安だ。
明日から出勤なので、明日には治まっていますように。
ではまた。

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