こんばんは、おにぎり成です。
みんな違ってみんな良い。
職場に仕事が遅い先輩がいる。先輩は何をやるにもゆっくりで、人を待たせている仕事でも急ぐ様子が全くない。
その代わり他人のミスにも寛容で、人の仕事を急かすこともない。人当たりが良くて優しいけど、自分に対してもおおらかな人だ。
そんな先輩と仕事をしているが、困ったことに急ぎの仕事を進めようとしてくれない。催促しても手をつける様子がない。
まあ、急ぎといえば急ぎだけど、今日やらなくても良い仕事ではある。しかし自分だったらすぐに片付ける仕事内容なので「この人はなんでこんなに行動がゆっくりなのだろう」と怒りを通り越して不思議な気持ちになった。
少し前の私だったらどうしようもなくイライラしていたが、最近は「どうしてこの人はこうなんだろう」と思ったあとに「世界中の人間が全員自分みたいな人間だったらつまらないし、これはこれで良いんだろうな」と思えるようになった。
他人は変えられないし、変えられないことに焦点を当てても仕方がない。それもその人の個性だ。もちろん意地悪してくる人は論外だけど。
これは集団生活を生きるための考え方であって、プライベートの話になるとまた別の話である。
特に恋愛関係では「なんでこの人こうなんだろう」と思ったとき、それを許せるか許せないか、その2択でしかない。
自分には理解できない行動でも、その人がその人として過ごしているが故の「なぜ」であるので、許容できなければ離れるしかない。
相手を否定するわけでもなく、自分を変えるわけでもなく、合わなければそれで静かにさよならだ。昔は駄々をこねて相手に変わってもらおうとしたり自分を変えようとしていたが、それは私が求めるものではないな~と最近思う。
自分が相手といて自分らしくいられること。その一言に尽きる。そしてその人の「なぜ」が愛しく感じたのであれば、それはもう観念して同じ時間を過ごそう。
流れる時間のなかで相手の「なぜ」が許せなくなるときが来るかもしれないけど、そのときはそのときだ。お互い自分らしくいられる相手を探す、ただそれだけだ。
自分の人生の責任は自分で持つこと。全ての決定権を自分のなかに戻したとき、見えてくるものが確かにあった。
毎日いろいろなことを考える。まだまだ未完成な私だ。
ではまた。