米粒のような独り言

アラサーオタク女性の独り言です。文章とお絵描きが好きです。おにぎりボウズくんというオリジナルキャラクターを描いて楽しんでいます。※無断転載などご遠慮ください。

地味に不安症と闘っていた話

こんばんは、おにぎり成です。

休みがもう終わってしまう…。f:id:hoshigakikun:20220405221505j:image

今日は休みだけど、家から一歩も出なかった。本当は少し離れたところにあるコーヒー屋さんに行って、ノンカフェインコーヒーを買おうと思ったけど、時間がもったいなかったので結局ネットで買うことにした。

ノンカフェインコーヒーがずっと気になってた!やっと買えた!!

コーヒー豆が届いたらノンカフェイン生活をするつもりだ。今は朝食にコーヒーを飲んで、昼間はビタミンC(アルコルビン酸)入りの水を飲んでいる。なので、朝のコーヒーをノンカフェインに変えればノンカフェイン生活ができるのだ。

「珈琲問屋」さんのノンカフェインコーヒーがノンカフェインだと思えないほど美味しいらしい。売り切れだったノンカフェインの豆以外は買ったので、また感想は書きたい。

 

午後は栄養療法のことをノートに書きながら学んでいた。私が何故こんなにもノンカフェインやらサプリやら、栄養のことを取り入れ始めたのかというと、生きづらさの原因が脳の栄養不足だという考え方が腑に落ちたからだ。心=脳ということらしい。

 

私はずっと昔から不安が強い。それが「不安症」だということを、最近になってやっと自覚することができた。

将来に対する不安、他人に対する不安が強かった。人に見捨てられる不安とか、自分が無能だという恐怖心もあった。そしてそれは今も続いている。

この話はいつか書きたいけど、とりあえず自分と向き合ってからにしたい。だから「米粒のような思い出」ブログは非公開のままだ。

 

数年前までは「家に知らない誰かがいる」という被害妄想に囚われていて辛かった。

屋根裏とか壁のなかに知らない人が住んでいて監視しているという被害妄想だ。そんなわけないのにね。

家に帰るとその人が慌てて身を隠してこちらを見ている。だから家に帰って最初にすることは、家のなかを隅々まで確認することだった。

今は使われていない兄の部屋に入って確認して、出ていったと思わせてまた見に行く。つまりフェイントをかけていた。収納のなかも一度開けて、閉めたと思わせてまた開けていた。誰もいないのに、実に滑稽である。

今はそれが妄想だと理解できているけど、当時は本気で怖かった。こうして書いてみると頭おかしいなと思うが、文字通り「おかしくなっていた」のだと思う。

 

そのときの自分を恥じることはないし、隠すこともしない。私は不安で怖くて震えていた。今はその感情を抱き締めている。

 

自分ではない誰かに答えを求めていた。愛されたくて必要とされたくてどうしたらいいかわからなかった。平穏がほしかった。温かい家庭がほしかった。

でもそれは手に入らなかったから、受け入れて前に進むしかない。悲観して駄々をこねても仕方ない。

ある人に「私はどうしたらいいの!」と泣き叫んだことがある。その人に「自分で決めろよ」と言われてようやく目が醒めた。そのおかげで変わることを決意した。

 

栄養療法のことは始めたばかりなのでまだわからない。本当は効果が出てから書きたかったけど、今日のことを考えていたら自然と書いていた。

自分の内面をさらけ出すことは恥ずかしいけど、今までもそうだったので今日もこれを書いた。そしてこれからも書く。

枯渇した脳に栄養を与えることによって、不安症が良くなればいいなと思う。ついでに浮腫と体のかゆみとボロボロになった髪の毛と偏頭痛と胃腸の弱さと朝のだるさが治ればいいな。どちらかというと体の不調のほうがメインだ。

今日はこんなに書くつもりなかったのに、書き始めたら止まらなかった。いつも重たいことばかり書いてごめんなさい。

読んでくれてありがとうございました。

ではまた。

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