米粒のような独り言

アラサーオタク女性の独り言です。文章とお絵描きが好きです。おにぎりボウズくんというオリジナルキャラクターを描いて楽しんでいます。※無断転載などご遠慮ください。

もうなにも感じたくない


「俺は欠けた人間なんかじゃなくて、欠けた人間にふさわしい道を選んできたのでは?」


ゴールデンカムイの尾形百之助がそう言っていたことを思い出した。昨晩からその言葉が頭の中をぐるぐるぐるぐる回っている。
そもそも私には、人を大切にするための土台というものが整っていないのだろう。受け入れられて、大切にされて、成功体験があって、それらの積み重ねが今になる。
それならば、受け入れられなくて、大切にされなくて、失敗ばかりを繰り返してきた人間には、大切な人たちの愛し方がそもそも理解できないのだろう。
わからないから感じることができない。だから理想の愛を思い描いて、理想と違う出来事を前にすると癇癪を起こして全て壊したくなる。

安心させてほしい。もう二度と繋いだ手を「気持ち悪い」と振りほどかれたくないから。大切にしてほしい。もう二度と「鬱陶しい」と煙たがられて避けられたくないから。
渇望するほど愛を求めても、本当に愛してほしかった人はもういないのに。

自己肯定感やら自己愛やらがないと、人はどうやら幸せになることができないらしい。自分を自分で満たすことができれば、人は安定することができるという。
メンタルケアとスピリチュアル関連の書籍を読み漁った。想いをノートに書き殴ってみた。高いお金を払ってメンタルケアのオンラインサロンに加入してみた。持っていると癒されるらしいパワーストーンを買った。明るく楽しく過ごすことを心掛けて、自分と向き合って癒されようと頑張った。
だけど何も上手くいかなくて、私はいまもリバウンドばかり繰り返してしまう。きっと私は「満たされている人間」を演出しているだけなのだ。その事実がこんなにも辛くて苦しい。
信じたことを実践して、それでも立ち直ることができないのなら、人はその先どうすれば良いのだろうか。

旅に出たい。ここではないどこかに行きたい。そうすれば何かが変わるような気がするけど、本質的には何も変わらないのだろうな。
誰かの人生が羨ましい。あの子のようになれたらよかった。全てをやり直したい。
だけどきっと私の人生も誰かにとっては欲しかった時間であって、結局私は無い物ねだりをしているだけなのだろう。その事実がまた八方塞がりな気がして、私は立ち竦んで途方に暮れてしまう。

昨晩から消えたくて消えたくてどうしようもなかった。考えると本当にそうしたくなってきたので、私はハッとして「は!?あぶなっ!!」と叫んだ。私は頭が良くないので、脳の構造を理解することはできないが、視野が狭くなるって本当に怖いことなんだな。そういうときは身体を動かすと良さそう。今度また散歩にでも行こうかな。


「俺は欠けた人間なんかじゃなくて、欠けた人間にふさわしい道を選んできたのでは?」


私は私が憎いし嫌いだ。大嫌いだ。それでも本当は全てを受け入れたいし、欠けた人間なんかじゃないと思いたい。自分を愛するように人も愛したい。尾形よ、君も本当はそうだったのだろうか。
欠けた部分は自分で補うしかない。でもきっと、私自身は欠けていてもみっともなくても人から嫌われても自分を許せなくても、そんな私でも良いんだよって言ってほしいのだろう。
いつか夜は明けるのだろうか。それまでは忍び耐えるしかないのだろうか。NARUTOじゃん、忍びじゃん。


はあ~、生きるって忍者だわ。

ブログランキング・にほんブログ村へ